ライオンを飼いたい

2026年06月06日

書籍紹介 大久保薫・大友愛美『ライオンを飼いたい―障害者支援の手前にあるもの』

(中央法規出版 2025年1月 1,800+税)


 本書は、現在、札幌学院大学で特別任用教授を務める大久保薫さんとNPO法人副理事長の大友愛美さんの共著である。本稿では、紙数の関係から大久保さんの執筆部分を中心に紹介する。

1.「混沌とともに思考するのも支援」

 大久保さんは本書冒頭において、全介助が必要な方とのかかわりから「支援を生業としている人たちが、いや、それを含めて支援そのものへの感性や眼差しが問われていると感じた」とする経験を紹介している(p3)。本書には、福祉関係者のみならず、対人支援に携わるあらゆる人たちの感性や眼差し(副題―障害者支援の手前にあるもの)に対する問いが散りばめられている。また、それは「外から」整理された枠組みによってではなく、実践現場のリアルな「無秩序な混沌(カオス)」(p3)の"中から"の発信である。そのため、例えば戸田の場合には、学校教育を研究し教員養成に携わる大学教員の他、スクールカウンセラー、障害者自立支援協議会の役員、そして障害者の家族といった自らがもつ立場・役割が本書を読み進めるなかで顔を出し、たびたび大きく揺さぶられる。本書には、日常の支援や実践を振り返り、その前提となる自らの姿勢(まさに感性や眼差しを含む)を見直すための対話がある。

2.「してあげる支援はイヤだ」

 大久保さんは第1章において、支援対象者と支援者の社会的・心理的な位置関係(関係性)について触れ、上下関係の構造が見え隠れする「してあげる支援はイヤだ」(p23)と述べる。それを避けるために、支援の必要性が十分に吟味されているかを問い、支援者は「その人の暮らしのために、その人の今と未来のために、どんな「支援」が必要なのかという問いに対して、真摯に慎重に丁寧に向き合っているのか」(p24)と述べている。さらに「たとえ障害が重いとされる人であっても、まだ幼いこどもであっても、本人自身がどう生きたいのか、どのような暮らしにしたいのか。本人が言葉にできないとしても、本人の言葉や態度から可能な限りつかみ取る」(p24)ことが、支援として<すべきこと>を理解するために必要とする。例として、グループホームの責任者が「本人のため」と説明し、「親も本人も納得」しているとするある決まりごと(GHでミルクティーが飲めるのは週に1回)を紹介し、そこには本人の視点(意味)が欠落し、支援者が決めた支援対象者の<あるべき姿>のための指導・管理に陥っているのではないかと指摘する。つまり、支援者であるわたし=指導・管理する人、支援対象者であるあなた=指導・管理される人という関係性の意識が垣間見られるのである。大久保さんは、支援対象者にとっての<あるべき姿>を聴き、感じ、教えてもらい、それを懸命に理解しようとすることが大切と述べている。

 これらの指摘は、福祉関係者のみならず、特に教育関係者などとも一緒に考えたい視点である。戸田は、北海道教育大学釧路校のゼミ(3-4年次)のテーマに「子ども・当事者の「声を聴くこと」を大切にした対人援助職(教育・福祉・心理職)の検討」を掲げているが、大久保さんの指摘と共通する問題意識をもち、現場が混沌とする今日こそ重要と考えている。

3.「支援と支配」

 大久保さんは、支援者は支援対象者と対等だと考え、そのように取り組んでいるつもりであっても「支援をされる側は、支援をする側の思いに関係なく、常に「される」側に立たされている。そこには対等な関係はない」(p57)と喝破する。大久保さんは、支援とは何かを問い、「「手伝う」以外に適当な翻訳を見つけられないでいる」(p52)とした上で、それを①誰か行為主体がいて、②その主体が行う物事があって、それがあって、③手伝い・手伝う人が登場する、という順序があるとする。しかし、実際は「②手伝う側が先にいて、①行為主体がそれに合わせて手伝いを受ける」という本末転倒な構図になっていることを指摘する。その結果、「支援を受ける側は、いつの間にか支援をする側に合わせて、その統治に甘んじることが起きうる」(p57)のであり、それは支援対象者の援助要請を抑制させる作用をもつことがある。

 支援をする側に合わせて…その統治に甘んじるという指摘は、第7章に示される課題と通底する。それを戸田なりに表現するならば、行為主体は"制度・システムが先にあって、それに合わせてサービスを受ける"ことを余儀なくされていることである。一見当たり前のように思われるが、これによりサービスの一部は「自分の大切な何かを犠牲にしなければ手に入らない」(p99)ことに加え、本人や家族にとって「障害が理由になった「しかたない」」(p106)といった諦めにつながることがある。大久保さんは、この状況を目の当たりにし、支援者として「何を大切にするのか」といったもやもやを抱えたとする。そんなときに共著者である大友さんの実践と出会い「利用者を支援の枠組みに入れるのではなく、利用者に合わせて支援の枠組みをつくればいいのだ」(p104)と考え、制度にのらない私的サービス「い~な・い~ず」を始めるのである。

 私は障害者家族の一人として反省することがある。脳性麻痺の妹がグループホームから通院する際、親による移動介助・受診同伴を明確に拒否していた。しかし、在住する地域では移動支援のサービスが限られていることから、本人を説得して親の移動介助・受診同伴を受け入れさせていた。本書は、この判断に関与した私に、自分なりの生活をつくりたいという妹の強い願いをどこまで真剣に考えていたかを問いかける。また、「人手不足を背景に、利用者もサービス提供者も本来の希望を忘れる(フタをする)ことにすっかり慣れっこのようだ」(p132)という指摘は、家族としてだけではなく、自立支援協議会の一員としても心当たりがある。解決につながる一手を打つことができず、関係者の慣れに甘んじて悶々とするばかりである。

4.社会福祉の専門職とは

 本書を読み終え、あらためて専門職とは何かを考えた。社会福祉の専門職とは、単なる法や諸制度の担い手であるにとどまらず、その実施主体によって利用者が不利益を受けたり、不十分であるとき、利用者を力づけ(エンパワメント)、その利益主張を援護し代弁(アドボケイト)したりする機能が求められる。特に代弁にあたっては、行政権力への対抗や法制度の改善・改革(ソーシャル・アクション)が求められる、とされる(筆者による要約、『社会保障・社会福祉大事典』旬報社、2004)。大久保さんの姿は、今日求められる社会福祉専門職のモデルといえよう。

※付記、ちなみにタイトルの「ライオンを飼いたい」の意味は、本書の中に答えがある。


(ある障害者団体の会報に寄稿したものを転載  初出2026.5)

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